いのちの道シリーズの学び

2016年第3期成長の道クラスサポーターを終えて

丸本典子姉(サポーター)

 

 今、クラスを終えた私の感想は…「知恵は真珠にまさりどんな喜びもこれに比べられない 。」 (箴言8:11)ここで言う「知恵」とは勿論、私達がこの地上で教えられ身につけてきた物ではなく、私達を造り愛し戒め導き守られる聖書の「神さまの知恵」です。

この「知恵」を得る為の「霊の訓練」は私が考えている物を遥かに超えて、この虚しい世界に対して浅はかで表面的な生き方から私を解放し、真実で深みのある生き方へと導いてくれるまさに「自由への扉」でした。訓練によって、神との交わりから離れて自己中心に生きようとする私を神の前に真っ直ぐに自分を置くことができるように導かれ、その中で神さまは私を少しずつ内側から聖化し変えて下さる事を体験しました。

 12の訓練に加えて毎週パートナーと持つ祈りの時間は、気づかない内に身についてしまった信仰生活の妨げとなる具体的な性格、習慣、関係の一つを「霊的課題」として掲げ、その欠点を補い、新しい習慣を訓練し、身につけていく体験です。実現する事が出来るように祈り合い、励ましあいながら進むもう一つの恵みの時間でした。神は眸さんの祈りともう一度学びたいという私の願いを一つにして下さり、何よりも私達の教会で川原先生を通してこの素晴らしい学びを導いて下さった事を心から感謝します。すべての知恵と知識は神の内に隠されていて、求めるなら喜んで与えて下さる事をリマインドされました。

「幸いなことよ。知恵を見いだす人、英知をいただく人は。それの儲けは銀の儲けにまさり、その収穫は黄金にまさるからだ。」(箴言3:13~14)

 

〈矢島眸姉の証し〉

第3期成長の道クラスを修了して

 

2016年7月17日主日礼拝にて
リチャード・フォスター著のThe Path to Spiritual Growth (邦訳『スピリチュアリティ - 成長の道』)を教材とした成長の道クラスの目的は、神からいただく愛によって、クリスチャンとしての隣人に対する愛を豊かにする訓練と学びと言う事で、信仰生活の向上を願う私にはとても魅力的、かつ期待したクラスでした。今まで受けた他のどんなバイブルクラスとも違う、学びと実践体験を目標とするクラスでした。速読・多読では理解出来ない13週間はとても大事な時間でした。表面的な生き方から、物事を神様の視点から見る深みのある生き方がどういうことか、聖書の正しい解釈と、今自分にとって何を意味するか、神のみことばを聴くプロセスを通して、自分の生活スタイルを革命的に、ドラマティックに変えられる事を学びました。学習や訓練を通して自分の霊的な課題を認識でき、ドラマティックに変えられることが達成されたとは言えなくとも、日々変えられつつある事に気付かされました。「大丈夫、あなたへの恵みは十分」と言うみことばを頂きました。(Ⅱコリント書12:9)色々な事からの解放と主のもとにある自由で開かれた想いを感じられ、聖霊の実(主にあっての喜びと陽気さに満ちるライフ)を結べる生活を望むことを目標としたいと、クラス修了にあたって今、思わされています。

 

〈矢島眸姉の証し〉

新しい道クラスを受講して

 
 教会に繋がって一年、信仰の成長の助けを頂きたいと期待をして13週の新しい道クラスに出席しました。そして、神の啓示の素晴らしさに接する事が出来、大きな祝福を頂きました。クラスの中で特に示された事は、QT(静思の時)と言われるデボーションの大切さです。この世に生かされて、霊的な生活を求めるには平安だけでなく“戦い”が常にあること。この世を支配しようとする権威や力がはびこっている事、そしてこの戦いに正しく立ち向かうには神様から目を離さないで、時間を聖別して祈り願い求める時、神の霊が働いて下さる事、神を信じる者すべての人に霊が注がれる事を学びました。悪霊との戦いには必ず勝利出来るという確信を宣言できるライフを目指したいと願いました。創世記のはじめから新約聖書のヨハネの黙示録まで神様の素晴らしさと、人間の弱さと罪の大きさを思う時、主イエス・キリストの十字架の意味を心から感謝せずにはいられません。イエス・キリストが示された従順と仕えるしもべの姿をこれからの人生の道しるべにしたいです。

 

いのちの道クラスを終えて                         2015年6月14日

 

矢島眸

 
13週のクラスを通して沢山の学びをさせて頂きましたが、その中で特に感謝したことは「聖書の学び」について教えられたことです。まず、クラスの冒頭のヨハネの福音書の言葉、神様がことばと言う表現を通してこの世に現され、このことばには命があり人の光になったと言う事です。「聖書のことばをまとめる」と言うクラスの宿題をスタートした時、2時間以上も同じ箇所を読み続けました。神様が語りかけているのは何なのかを問いながら。神様のことばを今までいかにないがしろにしていたか、心から悔い改めました。日々の悔い改めなしには聖書は読めない、悔い改めることが神様に近づける唯一の道だと言うことも分かり、みことばに従順になることを決心しました。また、今この時、神様が自分に語りかけて下さることを「静かに祈って聞く」事を教えて頂きました。
 
20才の時に信仰告白をしてバプテスマを許されましたが、26才でノンクリスチャンの主人と結婚、1974年にアメリカに来て40年余り、ひとつの教会につながる事なしに自分中心の生活を過ごしてまいりましたが、昨年のイースターの頃より「神様の恵み」をいっぱい感じられるようになり、神様からも、教会からも離れていた自分の生活全体が徐々に向きを変えられて行き、小さな点であった私の信仰がイエス・キリストを熱く求めながら生きる喜びの日々を歩み出す事が出来、信仰の点が増えて線に繋がるきっかけを頂きました。
 
全く神様の祝福を受ける価値のない者に恵みの命を授かり、どうかこれからキリストの教会の枝にしっかり繋がって実が結べるよう、霊的成長を求めて訓練と学びをさらに続けさせて頂きたいと願っています。お祈り有難うございました。