いのちの道コラム

 < 当教会は聖書を神の言葉と信じ、それを生活と信仰の土台にするプロテスタント教会です。

エホバの証人、モルモン教、統一協会とは一切関係ありません。>

 

 

 

いのちの道コラム2019年2月号

 

「聖書が教える本当の友情」

大久保満

 

 

どの時代にあっても、友情は素晴らしく、大切なものです。なぜなら、友がいるという事は、自分一人では出来ない事も、友と一緒にやれば、様々な事が出来るし、大きな事も力を合わせて実現する事が出来ます。

 しかし、友と言っても、この世には正しい友とそうでない友がいます。それを見極める事は、非常に重要です。なぜなら、友からの影響ゆえに、自分一人では絶対にしなかったであろう事をしてしまって後悔してしまったり、「友」だと言って、あなたから何かを盗んだり、得ようとする目的で近づく人も、残念ながらいるからです。

 それでは、私たちは、どの様にして、正しい友を見分ける事が出来るのでしょうか。

 聖書には、「友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれる」(Ⅰコリント15章33節)とか、「おこりっぽい者と交わるな。激しやすい者といっしょに行くな」(箴言22章24節)、「自分を愛する者、金を愛する者、実力以上に大きな事を言う者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、罪を悔い改めない者、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者、裏切る者、将来を考えず行動する者、自分の事を自慢する者、神よりも快楽を愛する者、見えるところは敬虔でもその裏では全く違う者を避けなさい」(Ⅱテモテ3章2-5節)と書かれています。これを読む限り、一層の事、友を持たない方が良い、と思われるかも知れません。しかし、これらの警告は、あくまで「正しい友」を見出す判断基準であって、決して友を持つな、とは言っておられない事を覚えておいてください。

 では、聖書が教える正しい友、本当の友情関係とは何でしょうか。

 イエス・キリスト様は、本当の友について次の様に言っています。「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行うなら、あなたがたはわたしの友です。わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。」(ヨハネの福音書15章13―15節)

 イエス様は、私たちに、「正しい友、本当の友とは、自分のいのちを友のために捨てる事が出来るほどに、友の事を愛している者だ」と伝えています。そして、実際に、イエス様は、私たちすべての人のためにご自分のいのちを十字架上で捨ててくださいました。イエス様こそ、正しい友であり、本当の友です。そして、このイエス様を自分の罪からの救い主として信じ受け入れる人は、誰でも新しく造りかえられて、新しいいのちを持って、イエス様の友となる事が出来るのです。

  今月の当教会の月間聖句は、「友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる」(箴言17章17節)です。これは、イエス様がどんなときにも、私たちを愛してくださった様に、私たちもイエス様をどんなときにも愛していく事を教えているのです。また、同時に、主イエス様にある兄弟姉妹を愛し、まだイエス様を信じていない方にイエス様の愛を伝えていく事によって、この世にある苦難や困難を共に分け合って生きていく事が出来るのです。

 本当の友情は、イエス様が示してくださいました。イエス様は、いつも、あなたの事を愛していますよ。