いのちの道コラム

 < 当教会は聖書を神の言葉と信じ、それを生活と信仰の土台にするプロテスタント教会です。

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いのちの道コラム

 

   「人生のリレー」

大久保満

 

先日、「ゴジラ-1.0(ゴジラマイナスワン)」という映画を観ました。その中で一番印象に残った一言は、 「生き残った人間は、きちんと生きていくべきです」という同居人の女性が、主人公へ語った言葉でした。主 人公は、恐怖で、特攻から逃げ、撃たなければいけなかった時に20ミリ砲を撃てずにゴジラに仲間を殺され てしまったという過去がありました。それゆえ、彼は、罪悪感とトラウマから、「自分は生きていてはいけな い人間なのだ」と自責の念で苦しみ、自分は死んでも当然な人間と思っていたのです。そんな主人公に同居人 の女性は、涙ながらに、先ほどの一言を訴えたのです。その女性も自分の目の前で両親を空襲で失うという過 去を抱えていました。しかし、両親の「あなたは生きなさい」の言葉によって、両親のためにも、また、同じ 空襲の中で見知らぬ女性から託された孤児のためにも生きる事を決心したのです。生き残った人間として、人 生のバトンを受け取り、きちんと生きていくことによって命を繋いでいたのです。私は、その一言を聞いた時 に、私たち人間は「人生のリレー」を走っているのだ、と気づかされたのです。 聖書にも、「私(パウロ)が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です」(コリン ト人への手紙第一3章6節)という一節があります。これは、コリントという町の教会に宛てて、パウロが書 いたものです。実は、コリント教会は、パウロ派とアポロ派の二派の分裂状態にありました。パウロは同教会 を開拓し、アポロはパウロから引き継いで教会を成長させました。その中でパウロ派とアポロ派が出て来たの です。それを受け、パウロは「アポロにしても、私(パウロ)にしても、あなたがたが信仰に入るために用い られたしもべであって、主なる神がおのおのに授けられたとおりのことをしただけです。大切なのは、植える 者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です」(同3章5,7節)と強調したのです。まさに、自 分たちは、神が与えた人生のリレーの一端を担ったのに過ぎないと言っているのです。 私たち人間には、それぞれ人生における役割があります。ただ、時に、その役割や働きにおいて、違いを感 じ、自分の生き方、また他人の生き方に対して不平不満を抱いてしまうことがあります。最悪の場合、分裂を 招いてしまうのです。しかし、人生のリレーの実体は違います。バラバラに見えても、実は同じ目標のレース の中で私たちは走っているのです。なぜなら、私たち人間を造られた神が、それぞれの人生を結び合わせてい るからです。それゆえ、私たちの人生には意味があります。決して無駄な人生などありません。たとえ、自分 にとって上手く行っていない人生でも、あなたの人生によって次に繋がっているのです。それゆえ、神が備え た人生のリレーをきちんと生きていこうではありませんか。