いのちの道コラム

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エホバの証人、モルモン教、統一協会とは一切関係ありません。>

 

 

 

いのちの道コラム2019年7,8月合併号

 

「弱さを受け入れる」

大久保満

 

「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に

現れるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに

喜んで私の弱さを誇りましょう。」 (第二コリント人への手紙12章9節)

 

ヨーロッパ中世期からバロック期にかけて多く奏でられていた撥弦楽器の一種で、リュートと言う古楽器があります。この楽器の音色は、とても、独特で、魅力的なものです。しかしながら、その美しい音色は、最初から出ていたものではないのです。実は、ある職人が作ったリュートが、風化作用で、胴部にひびが入った事から出てきた音色なのです。それまでの音色も、悪くはなかったのですが、風化によって、ひびが胴部に入った事によって、さらに新鮮な澄んだ音色、美しい音質へと変わったのです。このうわさは、瞬く間に、ヨーロッパ中に広がり、多くのリュート作りの職人たちが真似をし、中にはわざと石で叩いたりして、楽器にひびを入れる工夫までもして、ひびの入ったリュートが主流になっていったのです。

私たちは、普通、「ひび」と聞くとマイナス面を思い浮かべます。そして、それを排除しようとします。リュートならば、打ち壊して、もう一度、作り直そうとします。しかし、最初にその美しい音色に気付いた職人は、「ひび」が入っても、それを打ち壊すことなく、捨てる事なく、一度、弾いてみたのです。すると、「ひび」があった方が、さらに綺麗な澄んだ音が出る事を発見したのです。もし、その職人が、その時、「ひび」を受け入れる事がなければ、今日まで弾き続けられる美しい音色のリュートはなかったのです。

同じように、私たち人間誰しもが、何かしらの「ひび」とも思えるものを抱えて日々生きています。つまり、私たち一人一人は、何かしらの「弱さ」を持って生きています。

多くの人は、その弱さを排除しよう、もみ消そう、隠そう、無きものにしようとして、努力しています。なぜなら、社会では、「弱さ」は「恥」と見なされているからです。あの大胆に御言葉を語っていた使徒パウロでさえも、自分の弱さ(パウロは、「とげ」と表現している)を取り除いてくださる様に、と主なる神様に三度願いしたほどです。おそらく、パウロは、長きに渡って、自分の「とげ(弱さ)」に苦しんでいたのでしょう。

しかし、主なる神様の答えは、「ノー(No)」でした。その理由として、主なる神様は、パウロに「わたしの恵みは、あなたに十分注がれているではないか。なぜなら、わたしの力は、あなたの弱さ(とげ)の中で完全に働くからだ」と言われました。これは、まさに、主なる神様が、リュートのひびが美しい音色を出すように、私たちの弱さを通して、私たちの人生をより良いものにしようとされる事を言っているのです。

弱さは、人によって違います。他人が見れば、小さい事も、自分にとっては大きく、とても、受け止めきれない弱さもあると思います。しかし、そんな時だからこそ、かえって、その弱さを排除しようとするのではなく、しっかりと受け入れていこうではありませんか。そして、主なる神様にその弱さを告白し、素直に助けを求めていこうではありませんか。なぜなら、主なる神様は、その弱さ(ひび)を通して、あなたの生涯に比類のない

美しい音色を醸し出そうとしておられるからです。

パウロは、冒頭の御言葉の最後に、「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」と言い、自分に与えられた弱さゆえに奏でられる自分の美しい音色を誇ったのです。

あなたも、主なる神様によって、美しい音色を醸し出していける人生を送っていけますように。